今月の人

人も環境も整ったいざ、中の町青年会、新たな船出

221. 町田 裕介さん(29)と中の町青年会の仲間たち

▲前列右端が町田裕介会長
 はやり歌の題材にも取り上げられたほど活発で元気があった「中の町青年会」。その灯が消えておよそ三十年が経った。この間、地域住民からは復活を希求する声が根強くあり、その声に応えるかのようにこの七月、有志が立ち上がり青年会を復活させた。今月は再出発した中の町青年会を率いる町田裕介会長と、立ち上げに関わった仲間達の、日々の奮闘と青年会活動にかける思いを紹介する。

 中の町は盆踊りや陸上競技大会、花いっぱい運動など地域行事が活発だ。しかしその舞台裏を見てみると会場設営に汗を流し、イベントの裏方として働いているのは老人や女性たちだった。「地域のことを地域の人が一生懸命にやっている。力仕事もたくさんあるのに地域活動の場に青年がいないのは寂しいと感じた」と振り返るのは照屋雄大さん。同様のことを感じていた比嘉航平さん、照屋唯智郎さんの三人は「どうにかしなくては」との思いから青年会立ち上げを決意する。一年ほど前のことだった。それからは彼らの同級生を中心に声をかけ仲間を増やし、地域の老人会や自治会の人々と何度も話し合いを持った。その中で周りの人々がいかに青年に期待を寄せ大切に思っているかを実感するようになる。そしてメンバーの地域活動への意識が高まってきた今年七月二十四日、青年会を立ち上げた。互選で町田裕介さんが会長に、東風平常景さんと唯智郎さんが副会長に、事務局に雄大さんと宮平栄さん、会計に宮城恵里香さんが選ばれた。会員は十七歳から三十歳までの二十五人、この日から彼らは新たな一歩を踏み出した。
 沖縄市の青年会活動に欠かせないものの一つに「エイサー」がある。「僕たちの出発点は地域活動に青年を巻き込み地域とつなげること。だけど地域行事参加だけでは青年たちのモチベーションが上がらない。より多くの青年を惹き付ける手段としてエイサーには重点を置いています」と町田会長。中の町エイサーの「伝統の型」を知る舞踊家に当時の踊りを再現してもらい、そのビデオを見て型を受け継ぎ、新たな曲を追加して「新・中の町エイサー」をまさに今、構築中だ。会員たちは夜八時から十時まで毎日のように練習を重ねている。「これから一年かけて演舞に磨きをかけ、来年の全島エイサーまつりに出場することが目標です」と会員一同目を輝かせた。
 役員たちに今後の抱負を尋ねると「地域の願いを受け誕生した組織。盤石なものになるよう役員全員力を合わせて引っ張る覚悟です」と力強く答えてくれた。市にまた一つ心強い若者団体が誕生した。

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▼戦後文化シアター 今月のヒストリート


▲野外授業の様子ジャララバード

市史編集担当/TEL:929-4128
ヒストリート、ヒストリート2/TEL:929-2922

 今月紹介する写真はアフガニスタンの野外授業の様子です(ヒストリートUにて展示中)。
 一九七九年からアフガニスタンに侵攻していたソ連軍が、八九年に撤退したことで九二年にはソ連に支援された政権が崩壊。新政権下では多民族国家ゆえの各武装勢力による内戦が始まります。内戦が続く中、学校は兵舎と化し、机や椅子は燃料とされ、あるいは売り払われました。攻撃目標となった校舎は焼かれるなど、戦争は教育現場を徹底的に破壊し尽くしました。
 二〇〇一年一二月、タリバン政権が崩壊した後、各学校は授業を再開。左の写真は再開間もない〇二年三月に撮影されたものです。
 翻って六五年前、地上戦で焦土と化した沖縄はどうだったでしょうか。米軍上陸地点から比較的近い沖縄市(当時、美里村と越来村)では、終戦前の四五年六月に古謝小学校(美里村)、七月にコザ第一小学校(越来)、第二小学校(室川)、第三小学校(安慶田)が開校していますが、開校に関わった稲嶺盛康氏は「校舎も、机、腰掛、学用品など無く、畑を運動場に授業は木の下や青空の下で始める」(『沖縄市学校百年誌』)と回想しています。
 ヒストリートにはキャンプコザ内の青空教室でオルガンを囲む子ども達の写真がありますが、どちらの写真にも、繰り返してはいけない歴史と、逆境の中でも未来へ向かって生きる子ども達の力を伝えるメッセージが託されているようです。

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