今月の人

大切なことは熱中していることを諦めずに続けること

218.比嘉 明美さん(20)

 沖縄市の様々なまつり会場で、大人も顔負けのヒップホップダンスを披露する大勢のキッズダンサーを見たことがある人は多いだろう。このスーパーキッズたちを指導しているのは、弱冠二十歳の比嘉明美さん。「ワッツアップアケミダンススクール」を市内に開いてすでに五年、現在指導するこどもたちは約百人。今月は明美さんのダンスへかける情熱や、教え子たちへの思いについて聞いてみた。

 幼い頃から歌や踊りが好きだった明美さんは、親の勧めで四歳からライジングプロに入り、そこでダンスと出会った。様々な種類のダンスを基礎から学ぶうち、その奥深さに感動し夢中になった。ダンスの腕もすぐに上達し、十歳では早くも教える立場に。その頃から将来はダンスの先生になろうと決めていたという。
 中学卒業と同時に明美さんは『ワッツアップアケミダンススクール』を開校した。「教えるのも経営も自分一人。頑張りました。生徒を集めようと中学や高校の校門前でビラを配ったりしました」と振り返る。教え子たちが力をつけてくると、モチベーションをアップさせようと発表の場を探した。明美さんは自ら様々なまつりの事務局に飛び込み、躍らせてほしいと頼んで回った。発表する機会が多くなるにつれスクールは評判を呼び、教え子の数もどんどんと増え、現在は百人ほどのこどもたちが学んでいるという。今ではイベント主催者側から出演依頼が多数来るようになり、「お願いして回る必要がなくなりました」と笑顔を見せた。明美さんは年に数回ダンスコンテストに出場する。日々進化を続けるヒップホップダンスの技術を習得するためだ。他の出場者の新たな技術を目に焼き付け自分のものにする。「学んだ技術はすべてこどもたちに教えてあげたい」と明美さん。常に自らを高め、日々成長していくこどもたちの旺盛な向上意欲に応えている。
 明美さんに教え子たちについて聞いてみると「こどもたちは大好きです。懸命な姿に元気をもらっている。喜びや感動を共有する大切な仲間です。」と答えてくれた。「私はこどもたちに大きな影響を与える立場にいると自覚している。こどもたちは私に憧れ、ファッションや言動まで真似たがる。常にこどもたちの目標になるよう言葉遣い、挨拶、行動に気を付け、化粧も酒もたばこもやらず、運転免許も取らないようにしています」と引き締まった表情で続けた。最後に明美さんは「熱中していることどんなことでも、続けていれば必ず自分にスポットが当たる日が来る。諦めずに頑張ってほしい」とこどもたちへメッセージを送った。

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▼戦後文化シアター 今月のヒストリート

 戦後の沖縄を代表する政治家が一同に写っています。タイトルは「勢揃いした沖縄選出衆参国会議員 東京一九七〇」。
 その道のりは簡単なものではなく、国政参加は復帰運動の柱の一つとして大きな位置付けがありました。一九六一(昭和三六)年に琉球立法院にて全会一致で沖縄住民の国政参加要請決議を行い、継続して、日本政府や国会に対して要請を行いますが、なかなか声は届きませんでした。アメリカの施政下、国内法が適用されないため、提案権や発言権のない〈オブザーバー方式〉での国政参加が提案されるなど、沖縄側の要請とは程遠いものでした。
 六八年八月、岸昌(きしさかえ)日本政府沖縄事務所長が全国紙に「国政参加、沖縄代表に評決権を」与えるよう私見を発表し、大きな展開をみせます。
 六九年三月にはコザ市議会が緊急動議として「沖縄代表の国政参加早期実現要請決議」を全会一致で可決、地方議会として国政参加決議は異例でした。九月には美里村議会でも全会一致で決議されました。
 同年十一月、日米共同声明で七二年の復帰が決まり、七〇年五月に国政参加特別措置法が公布され、沖縄からの国政参加が実現することになります。そして十一月、戦後、二五年かかって沖縄から七名の国会議員が誕生したのです。

▲勢揃いした沖縄選出衆参国会議員

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