今月の人

沖縄のストリートシーンをもっと発信したい

212.花城可馬(ありま)さん(26)

 来る三月二十日、市民会館駐車場で若者たちによる沖縄のストリートシーンを一堂に集めたイベント「BEATS パークサイド」が企画されている。「沖縄市にはストリート文化に携わる人が多いのにクローズアップされることがほとんどない。ならば自分たちでイベントを起こしてストリート文化をアピールしていこう」と企画されたイベント。今回はその仕掛け人の一人、バイクショップ経営者でもある花城可馬さんを紹介する。

 花城さんは宮里でバイクショップ・GARAGE HOUSE SPARKを経営する傍ら、ハウスやステップ系ダンスのインストラクターもしておりダンスイベントの企画運営にも携わっている。同じように音楽イベントを企画する仲間とともに、多くの若者が魅力を感じているこの文化をもっと外にアピールする方法はないかと模索、イベントを企画した。「沖縄市は複合的なカルチャーの街。ヒップホップやストリートも街の大きな柱のはずなのにこれまで外にアピールされてこなかった。抜け落ちているこの部分にピンポイントでスポットを当てようと思った」と企画に至ったいきさつを話す。
 花城さんが企画している「BEATSパークサイド」は、沖縄市民会館駐車場を会場にスケボーやBMX、ダンス、ヒップホップ、レゲエ、アーティストらによるライブペイント、沖縄では開催されることが少ないアメ車やバギーなどのモーターショーのほか、ストリート系アパレルショップのテナントも多数出店するストリートカルチャーの表現者たちを一堂に集めたイベントだ。「たとえばゲート通りの洋服屋の多くはストリート系ファッションの店。僕らの世界では有名。でも一般には知られていない。イベントを打つことで『ゲートにはこんな店やファッションがある』と認識してもらえば新たな客がゲート通りに足を運ぶようになる。同じようにアートでもダンスでもすごい人がたくさんいる。彼らに光を当てることで彼らの表現に憧れる人が増えれば関連する産業も活性化していく」と話す。
 「今はネットなどが発達して生身の人と向き合わないでも事足りる時代。でも本当のエンターテインメントは人対人のコミュニケーション。このイベントは魅力ある表現者たちと直接触れ合い刺激を受けることができるもの。会場に来てくれた方に『あそこに行けばこんなメンバーに会える』と思ってもらえ、来るお客さんにステータスを与えられるような、そんなイベントにしたい。出来れば毎年継続して開催し市の活性化につなげていきたい」とイベントへの意気込みを話した。

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▼戦後文化シアター 今月のヒストリート


上 粗悪な厚紙で作られた
  代用品の紙製電灯傘。
下 灯火管制用5W電球。

市史編集担当/
TEL:939-1212(内線2273)
ヒストリート、ヒストリートII/
TEL:929-2922

 灯火管制とは夜間、敵機の来襲に備え、地上の状況を悟られないように減光・消灯することで、軍隊では一般的に行われていますが、民間地では特に第二次大戦における英国、日本などの例が知られています。灯火管制の方法は窓を塞(ふさ)いだり、照明に覆(おお)いをつけたりしますが、日本では1937(昭和12)年の「防空法」以後に、灯火管制用品の製造がはじまりました。
 写真上は日本の紙製電灯傘。電灯傘は本来、アルミなどの金属で作られますが、国内で金属が枯渇(こかつ)したために厚紙で代用されました。下は灯火管制用電球で、球内に遮光皮膜(しゃこうひまく)が塗られているため、光が拡散せず真下へ落ちる工夫がなされています。
 さて、沖縄では十五年戦争突入前の30年9月、那覇市を中心に与那原・糸満・泡瀬方面に亘って初の灯火管制訓練が行われました。実施日の夜はサイレンでの予報後、全ての電灯・ランプを5分間消灯しました。また39年10月に越来・美里など中部7ヵ村で防空訓練が実施された際には、具志川・勝連・与那城村などが灯火管制用品を共同購入し、完璧な灯火管制を目指したといいます。
 戦時中は頻繁に灯火管制が敷かれましたが、敗戦と同時に明るい夜が復活。しかし、朝鮮戦争の勃発で、米軍の前進基地となった沖縄で戦後初の灯火管制が実施されて以降、60年頃まで度たび行われることになります。

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