苦労は多くても新たな発見や
挑戦ができるのは素晴らしい

森口康秀さん・まりさん夫妻
1年のうち3分の2は海外で活動する場合もある報道写真記者。コザと金武をレポートするために沖縄市を訪れ、1人の女性と出会った。今年1月にゴールイン。アウェイでも強かった。ウチナームークの立ち位置を確認中。

いい意味でも悪い意味でもここの「刺激」と
 「下品」さはトップクラス。私はそこに魅力を感じる

森口康秀さん・まりさん夫妻

 生活拠点は主として東京都、時々埼玉県といった感じでした。フリーランスの報道写真記者ですので、一年のうち3分の2は海外で活動しているという場合もあります。年間撮影の3分の1は主に大手企業が発行する『サステナビリティ・レポート(社会環境報告書)』の海外撮影を数社担当し、その期間以外は「浮草」のように海外を徘徊しています。その海外活動で得られた経験や知識は6年前から学研『教育ジャーナル』という教育専門の月刊誌に「ワールドフォトリポート」として連載中です。東京国際大学、武蔵野大学では「フォトジャーナリズム」や「紛争地の若者たち」などをテーマに特別講義をしています。

 質問5でも答えていますが、沖縄の女性と結婚したというのが大いなるきっかけです。私の場合、「都会暮らしに疲れて…」とか、「島暮らしに憧れて…」といった、沖縄移住者の方に比較的多い感情はありませんでした。ですから今でも東京と沖縄を行ったり来たりの生活です。そもそも沖縄市、特にコザというところに限定して言えば、「沖縄らしい島生活」とか「田舎暮らし」とかいった雰囲気とはおよそかけ離れた場所だと思っています。もちろん金と才能が集まる東京とは比べようもありませんが、東京でやってきた私の人生が意外な形でフィットする不思議な町だな、と感じることはあります。私の好きなまちに、エルサレムやイスタンブール、バンコクの下町、東京なら麻布十番や吉祥寺などがありますが、いい意味でも悪い意味でもここの「刺激」と「下品さ」はトップクラスですね。職業柄かもしれませんが、私はそこに魅力を感じています。

 愛知県豊橋市生まれ。幼少期は長野県天龍村で暮らしたこともあります。水道もなく、便所と風呂は屋外。特に薪の五右衛門風呂が記憶に残っています。高校時代から演劇に魅了され、大学では国際関係を学ぶと同時に学生劇団に所属し、都内小劇場公演に参加。同時期にファッションモデルの活動も開始しました。湾岸戦争以降の中東地域に興味を持って、バックパッカーとして2年間海外放浪。その後、フリーランスの報道写真記者として現在に至っています。年に数カ月はポーランドに建てた木製小屋で暮らし、最近はそこに沖縄暮らしが加わりました。

 自分と家族の健康。これに関しては言うまでもないでしょう。一億円積まれても健康は奪われたくありません。

 上記の「ワールドフォトレポート」で基地の町コザと金武をレポートするため、2008年10月にここを訪れたのがきっかけです。その時にハロウィーンの仮装をした沖縄市役所の女性を撮影したのですが、その一人が妻となるまりでした。「写真を渡すよ」とは約束したものの、知っているのは「役所勤めのまり」ということだけ。届けようにも、市役所には正規・非正規合わせれば1800人くらいの職員がいるというからもう無理ですよね。諦めました。その数週間後、ひょんなことから沖縄市観光協会の会員でもある「サイン沖縄」の社長、大城さんから沖縄市とその周辺地域を案内してもらったんです。その時のひと言「ボクには妹がいてね、役所に勤めているんだけど、まりって言うんだよね。もちろん半分はアメリカ人、独身で…」「役所勤め」で「まり」で「父親がアメリカ人」といえばもう99.9%決まり!と思いました。この偶然の出会いは非常に重要でしたね。実際の再会は私が東京に帰る前日の数時間でしたが「次回会うときはデートしましょう」と約束して、1月1日に再来沖。その3週間後に結婚しました。

 新しい生活、新しい視点。
人間40歳も過ぎると今ある生活や仕事、人間関係をどう守るか、維持しようかというところに意識が集中してしまいます。家族や生活を守るのは素晴らしいことだけれど、それに必要以上に縛られ、挑戦や冒険ができなくなる人生は少し寂しい気がします。生活の場を変えることによって、苦労は多くても新たな発見や挑戦ができるのは素晴らしいことだし、頭も身体も若くいられるんじゃないでしょうか。

 初めて暮らす土地、それも東京から1600kmも離れた沖縄ですから、文化や習慣の違いから戸惑うこともあるはずなのですが、今のところはそれほど大きなトラブルやストレスもなくやっています。カメラ片手に言葉も通じない紛争地に滞在する生活からすれば、まさに楽園です。「ウチナームークー」というのは、実は結構楽な立ち位置なんじゃないのかなぁ〜なんて考えています。ただ1年のうち、3分の1が東京、3分の1が海外、残りが沖縄という生活は、妻まりの理解と苦労がなければ成立しません。自分としては焦らず、しかしなるべく早く生活のベースを沖縄中心に持っていけるように努力したいと考えている昨今です。

 お酒好きな私は胡屋十字路やコザ十字路近辺で呑むことが多いのですが、その辺りにいると市長や副市長をよく見かけるんです。時には国会議員まで。お互い構えることなく会話をし、杯を酌み交わせる関係、これっていいですよね。13万人規模の市とは思えない身近さです。今まで住んでいた地域では市長や区長の顔も名前も知らないことがほとんどだったし、個人的に会話をしたこともありません。あっ、そういえば、私たちの入籍パーティには沖縄市長、副市長が「たまたま通りかかった」というご縁で飛び入り参加してくれました。こんなにうれしいサプライズ、私が今までいたまちでは考えられません。この市民、行政、政治の身近さを今後も大切にしてほしいと思います。