街づくりのキーワードは
     暮らしやすい街

鈴木雅子さん
沖縄への移住は都会での生活の疲れ果てた末のリタイア目的だった。現在は「人として恥じない生き方をしているか」を自分に問う、反省の日々。過去の経験から培ったパワーは底知れぬものがある。行動派の実力派。

この街なら安心して暮らせるなぁ〜
               と思える街が一番素敵

鈴木雅子さん

 居住地居住地は埼玉県川口市でした。仕事場は都内です。通勤は約1時間。家に戻らず事務所で徹夜なんてのはザラ。脂の浮いた顔と充血した眼でスタッフたちとファーストフード店で朝ごはんなどとという日々が当たり前の生活を続けていました。外国人女性の人身売買事件やオーバースティの労災事故など、普通の日本人には見えない現実と向き合う職場環境でした。在日外国人の問題だけでなく北朝鮮問題にもかかわっていました。

 当たり前に受け入れていた都内通勤が苦痛となり、耐えられなくなった時点でフリーのエディターとして自宅で仕事をする道を選びました。しかし自宅での作業は通勤苦から開放されるけれどONとOFFの 切り替えができません。仕事の合間に寝て、仕事の合間に食べる、そんな不規則な暮らしを続けていたある時、10年後の自分を想像してみました。「こうなるであろう」という予測がついたのです。その途端、仕事への情熱を失いました。アラフォー越えを契機にした私の沖縄移住は疲れ果てた末のリタイア目的です。

 新聞、雑誌などの編集業務を経てフリーに。AllAbout沖縄ガイドとして沖縄情報を発信しながら沖縄市で交流のためのカフェバーを開業しました。5年目を迎えてこのカフェは、大学生たちが後を継いで地域交流の場として活用しています。また那覇市のIT企業や航空会社系、沖縄市の地域ブログなどで情報を発信中です。受賞歴としては、朝日新聞・東亜日報共催の戦後企画において論文「日・韓・在日のトライアングル構造」で優勝賞を受賞、日韓で出版。経済誌に連載していたコラムが、JLNAブロンズ賞(当時)で特別賞とJAL賞を受賞、国際時代社より出版。また東京都女性写真大賞にて「サンタモニカの風景」が入賞しています。

 世の中は、人そのものの本質とは関係ない部分で上下関係が発生してしまいます。あるいは国と国でも経済力イコール国力となり、人生が左右されてしまう。そして私もまた、無意識に下から目線、上から目線を使っているかもしれない。だから、「人として恥じない生き方をしているか」を自分に言い聞かせつつ日々反省中なんですが、私が何よりも大切にしていることは、人としての自尊心です。地位や肩書き、経済力といったもので人間の価値は左右されないと思うからです。こんな私ですから、地位の高い方からは生意気だと思われたりすることが多々あり。あ〜あ。

 商店街で生きる人たちが認識する共通の悩みを、お互いに抱えていました。高齢化と世代交代、家賃の高止まり現象など、地域は違っても課題は一緒でした。そんなことから情報発信、商店街のあり方などについて話すようになったのがきっかけです。沖縄市に居てはわからなかった他の地域の特徴をふかく知ることができますので、大変助かっています。

 転勤族の子である私にとって、故郷とは今居る場所。どこに行っても順応する力を持っているつもりですので、Iターンについて特別な気持ちはありません。ただし沖縄文化になじむまでは、東京文化が中心であるという上から目線だったはず。沖縄を知るにつれて、すべてが東京に一極集中している日本のアンバランスさに気づくようになりました。世界的に見れば、沖縄がヘンなのではなくて東京がヘンなのだと思っています。

 現在、沖縄市観光協会の運営するコザインフォメーションセンターで、地域情報の総合発信によるメディアミックス作業、修学旅行やナイトツアーなどの町なか体験商品の開発と提供、窓口案内など、沖縄市に人を呼び込むための仕組みづくりを行っています。休みがあるのかないのかわからないような不規則な毎日を送っていますが、やりがいのある仕事を任せていただき、スタッフ共々、主体的に取り組んでいます。

 地域には大人も子供もいます。元気な人もいれば体の不自由な人もいます。私は、自分が老いた時、この町なら安心して暮らせるなぁ〜と思える街が、一番素敵だと思うのです。隣人の顔が見える街、子どもたちを見守る街、医療が行き届いた街、そうした街には自然と人が集まってくるのではないでしょうか。商売も大事だけど、街づくりのキーワードは暮らしやすい街だと思います。


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