更新日:2022年3月1日
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村の共同の井戸である。子どもが産まれた時や正月の若水は、この井戸から汲む習わしであった。井戸の底が甕の底のようになっているために、「カーミンスクー」とか「カーミンシークー」(甕の底)と呼ばれるようになった。
(2011年1月12日 更新)
専門家によれば、万歴元(1573)年に設置されたと考えられている。「卍」が記された碑文の文字は鮮明であるが、内容を読みとるのは困難である。
(2015年10月21日 更新)
この井戸は、水がない。津嘉山の村びとたちが機織の布をさらした。現在は、宗教的職能者が祀る「五臓の神様」「布さらし井戸神・夫婦井(女神)」「唐船堂之碑(送迎の地)」と記された石碑が設置されている。
(2016年1月26日 更新)
石獅子は、村の北側の丘陵地に位置し、南の方角(海の方向)にむけて設置されている。戦後になって設置されたと言われている。
(2013年1月28日 更新)
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正月の時は、この井戸から若水を汲む習わしとなっていた。この井戸は、土砂崩れなどの影響で、1998年5月に改築の工事が行われた。旧暦8月15日のカーウガンでは、ウブガー、ミーガー、ウーチュガーの順序で拝まれている。
(2010年1月25日 更新)
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アシビナーの敷地内に「古謝之殿」がある。旧暦の1日と15日に村の有志たちは、村の無病息災と五穀豊穣を願って拝む。旧盆ではエイサーを踊る。日常のアシビナーは、古老たちのゲートボール場となっている。
(2010年8月9日 更新)
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この石獅子は、「シシクェーモー」と呼ばれている森へむけられている。この森は火山とみたて、「火返し」「ヤナムンンゲーシ」「ムラゲーシ」の意味で設置されている、との口碑がある。
(2014年3月5日 更新)
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屋号でイリナカジョーと呼ばれている屋敷地内に位置する。公民館前の道路の拡張工事に伴い1995年6月26日に移動され、現在の場所に南の方角の津堅ドゥー(津堅の海峡)へむけて設置された。戦前は、石獅子の後ろ側にクムイ(溜池)があった。それで「火返し」の意味もあると伝えられている。
(2013年3月11日 更新)
大きなアコウの木の下に祠(ほこら)がある。俗に「ビージュル」とか「ビジュル」と呼ばれている。ビジュルの石は、ある村びとが海からひろってきたと伝えられている。村の有志たちは、旧暦の1日と15日や旧暦9月9日に拝んでいる。もしも、過去1年間に村で子どもが生まれた場合は、健康の祈願をする。昔、古謝に大きな津波があって、丘の上からアコウの木の葉だけが見えたと言われている。
(2009年4月20日 更新)
古謝のビジュルにあるアコウ(ウスク)は『古謝誌』によると、ビジュルを安置した頃にはあったといわれ、樹齢100齢以上と推定されます。樹高約13メートル、胸高幹周7メートル、枝張の長さは東西約21メートル、露出した根張の長さは東西約13メートルもあり、樹形もよく、古木として貴重です。
(2009年7月6日 更新)
古謝のガン(龕)は、泡瀬のセークトーマグァー(大工当間小)と言われる人によって、造られたようだ。村では、昭和27(1952)年ごろから火葬が採用されたようである。そのために死者をのせるガンは、昭和33(1958)年ごろまで使われていた。古謝のガンヤーは、県内でも数少ない風景をとどめている。
(2008年2月12日 更新)
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